その1

群馬県長野原村・六合村 2008年3月上旬


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吾妻線の下り列車に乗って、長野原草津口駅を発車。
進行右側の車窓風景を見ていると、まもなくして異様な光景が目に飛び込んだ。

赤錆びた、ガーター橋。どう見ても、廃線だ。
余りにも立派なガーター橋。こんな所に廃線が?
気になったので早速調査してみた。


この太子線は俗称である。
まず日本鋼管株式会社の貨物線として、群馬鉄山の鉄鉱石を運搬するために、1945年に開業した。
1952年には国鉄に譲渡。長野原線として運行され、2年後には旅客輸送も開始。

しかし、鉄山は資源枯渇により閉山。旅客輸送も過疎化により需要が亡くなり、1971年に廃線になった。


長野原草津口駅の構内の様子。
ここにかつては分岐線があったという痕跡はない。(A地点)


本線との分岐点が道路の登り切った所である。
恐らくこの道路は廃線化後に作られたものだが、実際の路盤を掘削して作られたと思われる。(以下B地点)


そしてこれがガーター橋である。
吾妻線の車窓からもはっきり確認できる。


長野原草津口駅側の痕跡。
石垣の一部がはっきり残っている。
この土塁をとりあえず上り、ガーター橋を間近に見に行く。


木の色と残された枕木の同じ色。
冬という季節と、生きてない者が合わさって、出せる色。


一方、白須川を渡って反対側に出てみた。
ここでも廃線跡の痕跡ははっきり確認できる。
夏場はここは藪漕ぎになりそうだが、今の季節だけにこの恩恵は大きい。


レールが一本だけ残っていた。


そしてこれが太子側からのガーター橋。
本当は実歩してこの迫力をお伝えしたかったのだが、残念ながら白須川で現在護岸工事が行われていて作業員がうじゃうじゃいたので、断念した。


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