こういうことだ。
つまり、海食洞をこの隧道は挟んでいた。
早い話、トンネルの中にトンネルがあるということだ。

狂ってる。

そして、多分此処には昔橋が架かっていたと思われる。


橋が架かっていたと思われる所に線を引いてみた。
残念ながら佐渡の荒波に橋は持って行かれたのか、遺構は何も無かった。


とりあえず仕方ないので降りる。
海食洞を撮影してみたがとにかく天井が高い。
蝙蝠が数十匹この中へ逃げていった。


でもこれは登れそうにないな…
なんか岩に人工的な亀裂が入ってるのは何なんだろう。
とりあえず外に出てみることにした。


海食洞全景。
ほぼ中央部を隧道中の橋が横切っていたことになる。
この海岸は両脇を断崖に囲まれ、この隧道がなければ陸路からのアプローチはないということになる。


すぐ脇にも海食洞があった。


あ。


この海食洞は行けなかった残りの部分に繋がっていた…
写真左部の光が差し込んでいる所が海食洞だ。

しかし、この光景に一瞬足が竦んだ。

天然モノクロームの世界が此処に拡がっていた。
此処には白黒以外存在しない世界が出来ていた。


橋の反対側はこんな感じだった。
洞門はこちら側に比べて広くとられているようだった。

また大量の蝙蝠が頭上を飛び交う中、戸地集落方面の出口まで行く。


この閉塞感。
言葉に出来ない芸術が此処にあった。
囚人になった気分だ。


外に出てみたらその瞬間川で降りることができなかった。
よく見ると対岸に橋脚跡と思われる箇所が。


他全箇所で確認できなかった隧道銘板が漸く発見できた。
この入り口の一瞬だけコンクリで作られているようだった。
そして、銘板上部の岩肌。この島は化け物だ。



(クリックすると拡大します)

全く違う場所から撮影したトンネル全景。
クリックすると説明付きで拡大します。


おまけ。
蛇見たばっかだったのでリアル蛇に見えた…汗


【参考資料】 相川郷土史事典より

>戸地ー戸中間道路については、戸中トンネル開通以前、山道か浜道(引潮のとき)のため、波浪による遭難者が多かったが、明治十年から昭和五年(一九三○)にかけて、四回にわたる掘削工事により、長さ二一四メートルのトンネルが完成。その後拡張工事が進み現在に至る。

とのことだ。この隧道は最終的には昭和5年には完成していたらしい。
あまり車の需要がなかった時代だけに、あの隧道の洞窟感や狭さもうなずける。

しかしこれ以前は海沿いを通ってたなんて信じられない…
だって上の写真にあるとおり、道ねーじゃん!!

そして昭和49年に現道が開通したとのこと、それ以前は確かにこの洞窟付きの変な隧道が使われていたのだ。
あー、なんつー島だよここorz

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